本を抱えて窓際へ

かつて文学少女だった30代の読書録。大人になってからは、実用的な本も読むようになりました。

美女に憧れるストーカー男の深い業ー川端康成の『みずうみ』

この小説は、いわゆるストーカーがテーマになっている作品です。

エロティックな小説が好きな人におすすめです。

知人の日本文学好きベルギー人男性が「面白かった」と言っていたので、私も気になって読んでみました。

川端康成の『みずうみ』ストーリー紹介

主人公の男・桃井銀平は、町で気になる女性がいると後を付けてしまう癖がある男。

新潮社版の解説では、以下のように解説されている。

現代でいうストーカーを扱った異色の変態小説でありながら、ノーベル賞作家ならではの圧倒的筆力により共感すら呼び起こす不朽の名作である。

社会的にアウトな「ヤバい人」を描いているのだけど、描写があまりにも見事で、美しささえ感じられるのは、流石川端。

ストーカー男・銀平が、お店の女性に語っている場面では、彼の凄まじい狂気を感じる。

ゆきずりの人にゆきずりに別れてしまって、ああ惜しいという……。僕にはよくある。なんて好もしい人だろう、なんてきれいな女だろう、こんなに心ひかれる人はこの世に二人といないだろう、(中略)この世の果てまで後をつけてゆきたいが、そうも出来ない。この世の果てまで後をつけるというと、その人を殺してしまうしかないんだからね。

人間の中に巣食う、どうしようもない変態性を、見事に芸術へと昇華させている。

 

男にとっての「みずうみ」とは何だったのか

主人公の桃井銀平は湖のそばで生まれ、幼少期は湖を眺めながら過ごした。
彼の母親はとても美人だった。しかし、父親は醜い容姿で、湖で死んだ。
銀平は故郷でいとこのやよいという少女に対して恋心を抱いていたが、その恋が叶うことはなかった。
湖は美しさの象徴として、作中で繰り返し語られる。

少女の目が黒いみずうみのように思えて来た。その清らかな目のなかで泳ぎたい、その黒いみずうみに裸で泳ぎたいという、奇妙な 憧憬 と絶望とを銀平はいっしょに感じた。

美しさの象徴が「みずうみ」だとしたら、醜さの象徴は銀平の足だ。

他人が見たらぎょっとするような形の足をしていて、彼はそのことに強くコンプレックスを抱いている。

この足に関する描写も、作品の中で何度も繰り返されます。

肉体の一部の醜が美にあくがれて哀泣(あいきゅう)するのだろうか。醜悪な足が美女を追うのは天の摂理だろうか。

銀平は、戦後に町へ出て高校教師になるが、その教え子と恋仲になってしまい、教え子の両親に仲を引き裂かれ、破局してしまう。
この教え子との関係が深くなるのも、銀平が少女の後をつけたことがきっかけである。

教え子と別れた後も、銀平は町で気になった女性の後を付けるようになる。
夜道でとある女性の後を付けていた時、その女性に気づかれてハンドバッグを投げつけられたことがあった。

その女性は宮子という名前で、お金持ちの老人の愛人をしていた(今でいう、パパ活的なことでしょうか…。)。
彼女は若く美しい女性なのだが、心のどこかで老人のお妾さんをしていることに、鬱屈した感情を抱いている。

銀平に後をつけられることに密かに歓びを覚える宮子…。こういった、後ろ暗い欲望の描写に痺れました。

近づけば遠ざかってゆく「美」

ラストシーンも印象的だ。
美に憧れるが、近づこうとすればするほど遠ざかってしまう切なさと、そんな主人公の男に対する作者の皮肉っぽさが相まったラストシーンだった。
川端康成は「美しさ」を追い求めた作家なので、『みずうみ』の主人公に自分を重ね合わせている部分もあるのかもしれない。


読後、見てはいけないものを見てしまったような背徳感を抱いた。

「むっつり」とでも形容できるような、じっとり湿度の高いこういう小説は、ものすごく日本的だなと思いました。業深いエロスを舐り回すように愉しみたい方は、ぜひご一読を。