本を抱えて窓際へ

かつて文学少女だった30代の読書録。大人になってからは、実用的な本も読むようになりました。

泉鏡花の外科室ーかつて秘密は墓場まで持っていくものだった

作者は泉鏡花。怪奇的・幻想的な作品で知られている、明治から昭和にかけて活躍した作家だ。

この『外科室』は15分くらいで読めるくらいの短編小説で、明治時代に書かれた、不思議で壮絶な物語。文体が古めかしいのでちょっと読みにくいが、内容が面白いので意外と読めてしまった。

『外科室』のあらすじ紹介(ネタバレ注意!)

この物語は、一人称が「予」という語り手の視点から語られる。語り手はある日、東京のとある病院に、友人で医師の「高峰」が執刀する手術を好奇心で見学に行く。
手術を受けるのは、貴船夫人という高貴な女性だ。手術室には、夫人の夫の伯爵のみならず、身分の高い幾人かの者たちも見学に来ている。

手術が始まる前に、貴船夫人は麻酔剤を飲むように言われるのだが、手術中に譫言(うわ言)を言う恐れがあるから、麻酔は飲みたくないと頑なに拒み、麻酔なしで手術をしてほしいと、医者の高峰に懇願する。
困惑した周囲の人は、麻酔薬を飲むよう夫人を説得する。
貴船夫人には7、8歳の娘がいるのだが、娘の姿を見れば麻酔を飲んで大人しく手術を受ける気になるのではないかと彼女の夫が提案するが、夫人は娘に会うことも拒む始末。

結局、高峰は貴船夫人の願いを受け入れて、麻酔なしで手術をするが、夫人は亡くなってしまう。そして、手術を行った医者の高峰も、同じ日に夫人の後を追うように亡くなる。

それから場面は変わり、九年前に遡る。
九年前、語り手と高峰が、小石川植物園で貴船夫人に会っていたことが述べられて、物語は終わる。

空白の九年間、何が起こった?

この小説は、語られていない九年間の空白など、謎の部分が残されているので、解釈の余地がある。

貴船夫人はメスが体に入った時、「痛みますか」と高峰に聞かれるのだが、彼女は「いいえ、あなただから、あなただから」と返事をする。この台詞で、夫人が医者に対して普通ではない感情を持っていたことが仄めかされている。

貴船夫人は医者の高峰に恋愛感情を持っていて、命懸けで秘密を隠し通したのかもしれない。
この小説が書かれた明治時代には「姦通罪」があったのだが、夫のある女性が不倫した場合だけ、罰することができるようになっていた(既婚男性には適用されない、かなり不平等な法律だった)。既婚女性が夫以外の男性に恋をしてしまうことはその当時、罪だった
貴船夫人は、医者の高峰をどうしても好きになってしまい、妻・母親としての役割がブレてしまうことを恐れて、自殺めいた死に方を選んだのかもしれない。妻であり母親であるのに、よその男性を好きになってしまった自分を罰するためだったのだろうか。

この時代、女性にとって不倫は本当に命懸けだったんだなと思った。令和の時代では書けない物語。

かつて秘密は、墓場まで持っていくものだった

内田樹の『困難な成熟』という本に書かれていたことなのだけど、昔は、秘密というのは墓場まで持って行くもので、バレないように嘘をつくことを頑張っていたという。
でも最近は、すぐバレる嘘をつく人が多くなった。それは個人主義的な考え方になってきたことが影響しているかもしれない。

昔は、「家制度」なんかがあったりして、自分というものはそういう共同体の大きな流れの1つでしかないと意識していて、長い年月が視野に入っていたけれど、今は多くの人が、数年先のことしか考えなくなった。

「嘘をつき通す」というのは確かに、かなりカロリーが必要な行為だと思う。嘘をつき通して、真実を知る者がいなくなってしまえば、もはやそれは「本当のこと」「真実」になってしまう。


私は、「嘘をつきとおす」ことは、他者への思いやり、愛情表現なのではないかと思う。

『かくしごと』(久米田康治作)というマンガがあるけれど(2020年にアニメ化もした)、これは、ちょっと下品なマンガを描いている父親が、娘が学校で恥ずかしい思いをしないように、自分が漫画家であることを頑張って隠し通す物語だ。「お父さんは普通のサラリーマンだよ」と娘に思わせるために、本当にめちゃくちゃ努力する。

今の時代は、こういう一般的ではない特殊な設定を持ってこないと、ドラマチックな「隠し事」の物語が描けないのかもしれません。

現代人は薄っぺらい?

昔の方が良かったとは思わないけれど、自分個人だけの視点ではない広い視野を持って、周囲の人のために、貴船婦人のように命懸けで、何が何でも秘密を隠し通す昔の人に比べたら、目先のことしか考えていなくて、すぐばれる嘘をついてしまう現代人ってちょっと薄っぺらいのでは?と思ってしまった。

 

 

 

困難な成熟

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