本を抱えて窓際へ

かつて文学少女だった30代の読書録。大人になってからは、実用的な本も読むようになりました。

幸せになるために友達は必要ない?!橘玲『幸福の資本論』

『幸福の資本論』を読んだ当時、人間関関係(主に友人関係)で悩んでいて、その時にネットでたまたま見つけて興味を持った。

人が幸福になるための現実的な戦略を紹介している本で、とてもためになった。

幸福になるためには、三つの資本が必要!

豊かな人生を送るために、三つの資本が土台になると著者は説いている。

  • 1つ目は「金融資産」。簡単に言うと「財産」「お金」のこと。
  • 2つ目が「人的資本」。「仕事」のこと。
  • 3つ目が、「社会資本」。「人間関係」のこと。

この3つを揃えると、「スーパーリア充」「超充」になれるが、原理的にほぼ不可能だと橘氏は説く。

だから、普通の人が幸せになるためには、2つの資本を持つことが大切だそうです。

一般的なリア充と言われる人は、人的資本(仕事)と社会資本(人間関係)が揃っていて、典型的なお金持ちは、人的資本(仕事)と金融資産が揃っています(お金持ちになると友達ができない、孤独になるそう)。

一つだけしか資本がない人の一例を挙げると、地方に住む低所得の若者、マイルドヤンキーと言われるような人です。

この人達はとにかく地元愛が強く、昔からの友達づきあいを大切にしていて、少ない収入を人的ネットワークで補っている。

全部失った状態が、例えば「最貧困女子」と呼ばれるような人達で、地元も頼れないし、風俗業界も最近はなかなか厳しく、この頃は介護業界がこういった女性のセイフティネットになっている。

家族や友達よりも、お金を介した人間関係の方が重要な理由

本書の中でも私が一番面白いと思ったのは、社会資本についての章。

人間はそもそも、社会資本(人間関係)からしか幸福を感じることができないという。
遺伝的に、そのようにプログラミングされているのだ。

人間関係というものは、私達の主観的には、愛情空間(家族・恋人)が大半を占めていて、その周りに友情空間があり、友情空間の周りに政治空間(友達でもないけど他人でもない人との関係)、そして薄く貨幣空間(金銭を介した関係)があるという認識だったが、実際には愛情空間・友情空間・政治空間よりも、金銭を介したやり取り、貨幣空間の方が圧倒的にウェイトを占めているそうです。

確かに、数か月に一回会う友達よりも、近所のスーパーの店員さんとか、よく買う飲料のメーカーの方が、自分の生活に密接に結びついている気がする。

政治空間と貨幣空間のルールの違い

そして、政治空間と貨幣空間はそれぞれ、「統治の倫理(権力ゲーム)」と「市場の倫理(お金儲けゲーム)」で動いている。

政治空間・権力ゲームの原則は、敵と味方を分けて、味方を増やしつつ敵を殺すことにある。
一方、貨幣空間の原理は、「正直」「契約の尊重」「他人との協力」の元、競争はするが、暴力を排除する原理で動いている。

この2つの原理が混じり合うと、とんでもないことになってしまう。例えばイギリスのインドにおける植民地支配のように、お金儲けのために権力ゲームの原理を利用することは、非人道的だ。

貨幣空間の原理の方が、実は平和主義的な原理を持っているのは面白い。

「間人」ではなく「個人」として幸福を求めることが大切

ちょっと話は飛ぶが、「個人(individual)」と「間人(the contextual)」の対立について述べている箇所も面白かった。

間人主義というのは、人と人との関係を重んじることで、個人主義は個人の意思を重視すること。
間人としての幸福というのは、「その組織内でのやりがい」とか「帰属意識」ということになるが、間人としての幸福を追う場合は、やりがい搾取のリスクもある。(長時間労働、過労死、自殺)

著者はむしろ、個人としての幸福を追うべきだと述べている

「幸福に結びつく「自己決定権」の自由度が大きい人ほど幸福」という調査結果が出ているという。「自己決定権がある」ということは「個人主義が尊重されている状態」と言えるだろう。

今の日本の閉塞感の正体は、狭い政治空間内でのやりがいを強要されることにあるのでは、と橘さんは述べている。

人に嫌われることを極端に恐れる日本人は、実は常に「ピアプレッシャー(同調圧力)」にさらされる政治空間が大嫌いなのではないか。一つの組織に永らく留まる働き方ではなく、グローバルな貨幣空間の中で生きる方が、幸福になれるのかもしれない。

最近はネットやSNSの影響で、濃密なつきあいをしなくても、弱いつながりを気軽に持つことができる。
そういった、弱いつながりの中では、「間人」としてではなく、「個人」として自由に振る舞うことができるのだ。


「強いつながり」は、マイルドヤンキーのように「情緒的共感」が大切で、グループ外の人を排除・差別することによって成り立っているが、「弱いつながり」は「認知的共感」の上で成り立っていて、異質な存在にも寛容である。

著者の考える幸福な人生は、「強いつながり」を恋人や家族にミニマル化して、友情も含めそれ以外をすべて貨幣空間に置き換え、さらに一つの組織に生活を依存しないこと(例えばサラリーマンは、人的資本・社会資本を退職と共に失ってしまう)だという。

濃い繋がりは家族と恋人だけで十分だ!

私は元々濃いつながりが苦手で、最近は弱いつながりの方がいいなと思っていたので、この本を読んでとても腑に落ちた。

地元の子供の頃の友人と話が合わなくなって、逆に最近はSNSのコミュニティとかネットを介した人付き合いの方が気楽だし、本当に話しが合う人を見つけられるな、と感じていたので。

濃すぎる人間関係は、軋轢を生んでしまう。

ネットのおかげで気軽な人間関係を簡単に築くことができる今の時代は本当に恵まれているなと思う。もし自分が、昭和のような濃密な人間関係が普通だった時代に生まれていたら、私はかなりきつかったことだろう。

昔から個人主義的な生き方が性に合っていて、海外に行ってみたいと思ったのも、日本的な考え方に馴染めなかった部分もある。
みんなが一丸となって、チームワークで頑張る!みたいな行事(文化祭や合唱コンクールなど)が苦手だった。

致命的なミスをしたらそのグループから排除される、他の集団を必要以上に敵視する、など、「集団って怖いな」と昔から思っていた。ちなみに私は学生の時、合唱コンクールの朝練に遅刻したら、皆の視線が痛かったのを覚えている。

今の学校教育は間人主義的だと思うので、個人主義的な教育にシフトしていってほしいと切に思う

日本語と言う言語そのものも、相手との人間関係で文体や言葉遣いも代わる「ハイコンテクスト言語」なので、日本人の考え方自体を変えるのも容易ではないのかもしれないけれど。

とにかく、幸福について今一度立ち止まって考えてみたい人に、かなりおすすめの一冊です。