本を抱えて窓際へ

かつて文学少女だった30代の読書録。大人になってからは、実用的な本も読むようになりました。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』日本文化は羊羹の味わいのように奥深い。

私はかつて十年ほどヨーロッパに住んでいたことがあるのですが、日本を離れてみると、日本の良さが改めて身に染みて感じられます。

日本人や日本文化の持つ礼儀正しさ、清潔さ、何でも受け入れてしまう大らかさ、文化的な豊かさ、奥ゆかしい優しさが恋しくなります。

若いころはヨーロッパの華やかな文化に憧れたものですが(だからこそ海外にやって来たのですが)、年齢を重ねると、一見地味だけれど噛めば噛むほど味わい深い日本文化にどうしようもなく惹かれるようになっていきました。

『陰翳礼讃』は、そんな日本文化の奥深さに気づかせてくれた一冊です。

1分でわかる『陰翳礼讃』要約&あらすじ

日本の伝統的な美意識について、谷崎が自分の意見を述べたエッセイです。
陰翳礼讃というタイトルが示すように、陰翳を含んだ美をひたすら褒め称えています。

美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。『陰翳礼讃』

谷崎は、花鳥風月を愛でることのできる薄暗い「」の心地よさから始まって、漆器羊羹味噌汁お座敷金箔美少年の能役者文楽日本女性の鉄漿(おはぐろ)など、様々な日本の伝統に陰翳のあやが織りなす美しさを見出しています。

羊羹やお椀の味噌汁なんかを愛でたくなる!

『陰翳礼讃』は、他ではお目にかからないような、あまりにも独特な表現が多く、読んでいて楽しいです。

私が好きな表現はこちら。

私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよ/\した肉体を支えたような感じでもある。

「お椀を手に持った感じは、赤ちゃんのぷよぷよの体を支えたような感じ」という表現はなかなか突飛だけど、でもなんだか感覚がわかる不思議。吸い物を飲むときは、硬い陶器じゃなくて、やっぱり柔らかみのある漆のお椀がいいですね。

また、食い意地が張っている私は特に食べ物の描写に食欲を刺激されました。以下は、羊羹と味噌汁に関する件の引用です。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。
私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろ/\の赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。

楽天やアマゾンのレビューにこんなのがあったら、絶対買ってしまいそう。羊羹や味噌汁の色合いを愛でるために、薄暗いところで食べてみたくなります。

さらに、日本女性の美については、陰翳の中で見る姿が一番美しいと述べています。

なるほど、あの均斉を缺いた平べったい胴体は、西洋婦人のそれに比べれば醜いであろう。しかしわれ/\は見えないものを考えるには及ばぬ。見えないものは無いものであるとする。強しいてその醜さを見ようとする者は、茶室の床の間へ百燭光の電燈を向けるのと同じく、そこにある美を自みずから追い遣ってしまうのである。

現代の日本女性は食事の変化で体格もよくなり、例えば冨永愛のように西洋人に見劣りしないスタイルの人もいますが、谷崎の時代は恵まれた体型の日本女性はあまりいなかったのでしょう。

すべてを白日の下に晒して暴いてしまうのは野暮で、敢えて闇は闇のままにして陰翳が織りなす美を愛でる。騙されたふりをして、美の魔法にかかる。

とても成熟した、大人の愉しみ方だなと思います。

個人的に、日本人は美意識がとても高い民族だと思っているのですが(例えば、ファッション一つとっても皆お洒落です)、そんな日本人の秘密を垣間見た気がしました。

『陰翳礼讃』は、日本の美について興味がある人に、おすすめの一冊です。英語版やフランス語版も出ているので、日本に興味のある外国人に薦めるのもいいかもしれません。